立川がじらオフィシャルブログ(令和)

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芦田愛菜とデカルト~信じられているものについて~

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芦田愛菜さんに関しては、テレビの視聴者にとって初めて世に姿を現したときの姿が焼き付いていて、いつまでもそのままになっています。

ずっとマルマルモリモリをやっていたときの様からイメージが変化しないのは、親戚の子に数年ぶりに会って「今はもうあれ踊ってないの?」と言ってしまい嫌がられ「一体この人はいつの事実を持ち出しているのか。当然ながら既にそれらは更新されている。それがわからないのだろうか」と思われるときの大人の立場と一緒で、情報が更新される機会を逃し続けているからなのですが、芦田さんという人はそうした一般的な大人たちの精神状況を理解したうえで、こちらが把握することができないスピードで更新し続けている人なのではないでしょうか。

「そういえば、あの子役は今どうなっているのかな」とふとした拍子に思い出させる間もない速度でもって、芦田さんはテレビ番組や映画に出演し続ける。それはまるで、人間の成長の速度に合うように芦田さん自身が調整し、つねに最新の姿を提示していくことを自らに課しているかのようであります。

難関で知られる私立中学に入学されたニュースも記憶に新しいですが、イメージを軽々と飛び越え、芦田さんは存在感を示します。

福くんとは同年同月(2004年6月)生まれとのことですが、国民の感覚では既に芦田さんのほうが福くんを5~6年上回っていることは間違いありません。

しかしながら、それでも国民の年老いた感性はいまだ、この子はマルマルモリモリだと思っている。器用な子供であると。

そこで再び、芦田さんは情報更新の一手を放ちます。

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芦田さんは、なんと、“信じること”をアクロバティックな解釈のもとで提示するのです。

  “信じる”について芦田は「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」と高校生とは思えない回答を披露。

 続けて「揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」と言葉の中に潜む人の心理を指摘した。

 この答えにメガホンをとった大森立嗣監督(49)は「難しいよ!」と感嘆。永瀬も「これ以上の答えはないですよ」とたたえた。

誰かを“信じる”ということの正体は、自分を“信じている”ということに他ならないことを看破し、同時にそこに潜む弱さをも指摘しているのです。

 

17世紀ヨーロッパの哲学者デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という仕方で自己の存在を確かなものだとしました。

私は本当に存在しているのか。もしかしたら、すべては存在しないのかもしれない。しかしそうだとしても、そのように考えている私は存在していなければならない。

私は、考える私として存在している。では、考えるとは。

以下の本からデカルトの文を引用します。

考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)

考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)

  • 作者:池田 晶子
  • 発売日: 1998/06/01
  • メディア: 文庫
 

〈それでは私とはなんであるのか。考えるものである。では、考えるものとはなんであるか。すなわち、疑い、理解し、肯定し、否定し、意志し、意志しない、なおまた、想像し、感覚するものである。〉

 現代の哲学者池田晶子は、ここに違和感を感じ取ります。

ところが彼はここに、ただひとつ、入れてない。故意にか。いや、彼の嗅覚が事前にその危険を察知して避けたのに自ら気づいていない。いや、どうだろう。「疑う」があるのに、「信じる」がない。彼は、cogitoの作用の中に、「信じる」を入れてない。

“信じる”ということは、疑っている“と信じている”とか、想像する“と信じている”のように、ひとつだけ、すべてが乗っかる基盤になるというのです。

そして、その基盤が吹っ飛んだあとになお残る“それ”=“私”である、と。

 

デカルトにおいては、“信じること”がすべてを、「全宇宙を」下支えしていました。中でも、絶対に信じなくてはいけなかったものこそが、自分というものだったのです。

芦田さんは、何よりも“信じる”という行為が、「揺るがない自分がいることが信じること」だと理解してお話されています。

デカルトにとってでさえ、どうしても信じなくてはならなかったもの。それを芦田さんはもう知っているんです。

まさに、自らものを考え表現することができる、そのことへの信が芦田さんの中に確かにあるのです。

今は16歳。金さん銀さんを基準に考えれば、あと100年近くこのスピードについていかなくてはなりません。いかなくても大丈夫だと思いますけども。