20年越しのセンチメンタル・バス紹介。バスは行き過ぎてまた帰ってくる。
1年ぶり、2020回目の9月9日がやってきて、この日になるとどうしたって思い出してしまう曲があります。
例えば俵万智先生だったら、7月6日という有名キラー記念日があって、この日に野菜を積極的に摂取する人が若干多くなると思うのですが、9月9日はセンチメンタル・バスを必ず想起する日なのです。
「9月9日」は『草原と鉄屑』というアルバムに収録されていて、この大変な名盤は1999年4月に発売されました。私が中学校に入学した月であります。
センチメンタル・バスは前年九月にデビューし、世紀をまたぐ直前、2000年12月31日に解散をしてしまいます。20世紀のうちに封じ込められたキャリアは格別に美しく、花火が上がって消えるまでの一瞬間のような活動期間にも関わらず、あまりにも素晴らしい音楽ユニットなのです。
99年夏、ノストラダムスの大予言によれば人類が滅亡するはずだった夏、この夏のポカリスエットのCMで流れた曲が予言を吹っ飛ばすような大ヒットを遂げます。
“39度の とろけそうな日”この声で、日本の夏の暑さをうたう声が更新されました。
日本の気温はどんどん上昇しているわけで、この9年前にサザンオールスターズが名曲「真夏の果実」の中で“マイナス100度の太陽みたいに”と唄ったときから一気に139度も上がってます。
夏の暑さの暴走によって、地球環境や身体に関する不安も大きくなる一方で、私たちは夏に対してある期待を持っていて、目の前に蜃気楼のように幻でも特別な何かが起きることを望んでいないとは言わせない。暑さに見返りを求めるように、真夏にはきっと何か起こるんだという信仰を持っている。39度という温度には、身体が感じるリアリティとそこを離れた夢が込められています。
13歳の自分がこの「Sunny Day Sunday」の衝撃をどう感じたか。とにかくサビのメロディの出し方が今まで聴いたことのない押し出しの力を持っていて、いまだに聴くたびにビックリしちゃいます。
翌年、中学2年生に進級した春、ニューシングル「マニアック問題」がリリースされます。この曲はソーテックという企業から出た新しいパソコンのCMソングとなっていて、確か舞の海が出演していて(舞の海は飛んでいた)、僕はこれを見て親にねだってこのパソコンを買ってもらったのです。センチメンタル・バスがパソコンを売った瞬間でした。
そこまでの名曲たちを収録したアルバム『さよならガール』は、この夏休みに発売されました。自転車で行けるなじみのCDショップに予約をして、発売日に予約特典のポスターまでもらって帰ってきた。そのポスターはあれから20年間実家に貼ってあります。『踊る大捜査線』のポスターは剥がしてしまったのに、センチメンタル・バスはずっと貼ってあります。たぶん取り壊しの日まで貼ってあることでしょう。
センチメンタル・バスは、中学生時代というノスタルジー最大の投影点(個人差があります)と、100年ぶりの世紀末の重なるところにちょうど光っていて、個人的経験の上で通過儀礼のように通過していった出来事だったのです。
センチメンタル・バスの楽曲は、色んな音が入っていて楽しい。小さいメロディがたくさんプログラミングされているので、個々の楽曲が大きく複雑になっていきます。それは人間の感情の豊かさをそのまま聴いているようです。
「悲しい」と思ったって、そこにはただ悲しみだけがわかりやすく置いてあるだけじゃなく、そこから逃げ出すものだったり、悲しさ一色に留まらない多くの色彩が渦巻いています。センチメンタル・バスは、そこを余すことなく表現しようという試みのために楽曲を制作しているのではと思ってしまうほど、とにかく人間の中身を明るみにします。
『草原と鉄屑』及び『さよならガール』という2枚のアルバムが素晴らしいので、何曲かピックアップして勝手に紹介申し上げます。
『草原と鉄屑』
「よわむしのぬけがら」は98年のデビューシングル。強くなるために殻を破った私の抜け殻は、蝉の抜け殻のようにコンクリートに転がった。通過儀礼のようにして私は次のステップを目指すけれど、打ち捨てられた抜け殻は子供だった私の大切な思い出である。ここにセンチメンタルがやってきた。
「だんしじょし」2枚目のシングル。タイトルは「男の子女の子」と郷のように言い換えられるけれど、男女の分離よりも融け合うような恋があるという印象の曲です。やや先行する天才川本真琴「1/2」に近いのかもしれないけれど、センチバの場合は「1/2y+1/2x」みたいにひとつになれないことが世界であると悟ってしまって、少し悲しいのです。
「アヒル」はサードシングルです。サザンでいうと賑やかな曲を2曲出した次に放った3枚め「いとしのエリー」にあたります。といっても“茅ケ崎の海”ではなく“厚木の空”です。同じ神奈川県内でもサザンに出てこない街です。「TSUNAMI」が“見つめ合うと素直におしゃべりできない”と唄うのとどこか近く、一緒にいるのに目線の合わないようなふたりが出てきます。湯舟で遊ぶ玩具のアヒルのように、虚ろな目。何かが足りない、何かがあれば離れられるのに…というこの切なさ。深くて美しいです。
「9月9日」風が吹いている。終始ものすごい風が吹きすさんでいるような曲です。色んなものが舞い上がる。さっきまでの感情もどこかへ飛ばされる。“その答えは風の中”、そんなことは言わない。答えだと思っていたものが、次の瞬間には問いになって転がってしまう。子供たちは、はしゃぐ。
「空と海と君の話」から「星になりましょう」の流れ。鈴木秋則さんがほとんどの曲を作曲しているなかで、この2曲は赤羽奈津代さんの作詞作曲です。とにかく壮大な物語のような流れで、前者に“時と場所の区別はいずれ消えゆく”とのフレーズがありますが、時=時間と場所=空間という決して離せない2つは、離れない2人のことを表現しているかのようです。音として迫るものも凄まじいです。
ラストを飾る「花火」はのち「Sunny Day Sunday」のB面として取り上げられる名曲です。とろけそうな太陽が沈んだあと、その同じ空に上がる花火です。時期としては「花火」のほうがやや先で、もしかしたら違う世界なのかもしれませんが。それほどまでにかけ離れている曲ではあります。花火の音、光、匂い。五感を刺激するものが過去を引き寄せる。花火が上がって咲いている最中に、過ぎ去ったことがよみがえります。すぐに消えてしまう、その儚さのセンチメンタルです。
『さよならガール』
- Sunny Day Sunday
- サイクリングビート330
- さよならガール
- SUMMER TIME KIDS STORY
- 飛行機雲とチワゲンカ
- 400,000,000ロック
- WEED CROWN
- YELLOW TRAIN
- Silver Snow
- 月の空ライダース
- マニアック問題
- 半ズボン
だめだ、もう想定している字数を超えてしまったので『さよならガール』について書けない。これは次の機会に譲ります。おそらく来年の9月9日に。
書いていて、センチメンタルは長続きしないセツナ的なものなのかもしれないと思えてきました。それでもセンチバの長くはない活動期間と残った楽曲の普遍性は、いつだって回帰してくるのです。
現在の私の大師匠立川談志の名言集の中でいちばん好きなのが「バスで帰ろうネ」という不思議なワードなのですが、こんな言葉から感じられる懐かしさや優しさはきっと、バスに乗ってゆっくりとやってくるのでしょう。
センチメンタル・バスは赤羽奈津代さん、鈴木秋則さんの2人組音楽ユニットです。