立川がじらオフィシャルブログ(令和)

立川がじら(1986~)のブログです。立川がじらは若手の落語家。

ドラッグストアの話から、急に靴下の話になる日記

日常生活というものは途切れないもので、ただ生きているだけなのに

 

ドラッグストアに行かなくてはいけない。

朝からこんな思いがあって、他に郵便局とコンビニにチケット発見と各種支払いに行こうと思っていたのですが、何よりもドラッグストアを優先しなくてはいけないという衝動にも似た観念を原動力として起床しました。

それだけ、昨夜の段階で「明日ドラッグストアに行かなくちゃ」と強く思っていたのです。

ところが、その理由がまったくわからない。ドラッグストアに向かう道中、ドラッグストアに着けばわかると思っていたけど、ドラッグストアに入店してもわからない。

店内で当の品が目に入れば「これこれ!」と思い出すだろうと思って一回りしてみるも思い出さない。シャンプーままだあるのを確認した、ボディソープはもう買っといてもよさそうだから買っておこうか、洗顔フォームは大丈夫なはず、洗剤系は大丈夫だな…歯磨き粉はOK、目薬もまだあるし、おお蚊が出なくなるスプレーは買ってみよう。というか何を買いに来たのかわからないから蚊が出なくなるスプレーを半ばヤケな気持ちで買ってやろう。

レジに並ぶ、そこで、レジ横に不織布マスクが売っているのが目に入り「これこれ!」と気が付きました。

今つけてるマスクが最後の一枚だから、それを買いにきたんだった。(あと、帰宅してシャワーを浴びて顔を洗おうと思ったら洗顔フォームがもうなくて殻を必死に押し出して一回分をひねり出した。買いに行かなくちゃ。どうしてこうなったの)

もうすぐ夏がやってくる。
いや、もう夏になっていると思う。

 

靴下の右と左、なんでだか絶対バラバラになるので、もう揃えようと思うのをやめました。

そもそも、繋がっていないのにどうして同じものを履かなくてはいけないのか。それだったら、離れないように靴下界で工夫をして頂きたい。

もちろん左右異なる靴下を履いていては、社会通念上非常にマズいというのはわかります。しかし靴を脱がないパターンの場合、まさか左右違うのを履いているとは思わないでしょう。これはひとつの享楽です。
第一に、右と左とが画一化されることに対して、抗わなければならない。「右近の橘、左近の桜」と言うではありませんか。
違っていい、個性があっていいんです。対称性を崩しましょう。右がカワイイ感じのとき、左にディストピア感を出しましょう。

人間の身体は歪みがそこかしこにあるようで、左右の重心の偏りがあるといいます。そうした調整を靴下の厚みなどで行えるかもしれません。
靴下は透明でフラットなものではなく、人間が踏みしめる第一のものであり、それゆえ衣類中での傷みやすさはナンバーワンです。足と靴の間で息づく儚いいのちについて、もう一度考えてみたいと思います。

いかがでしたか?